『M-1 2018』「霜降り明星」決勝(2回目)の考察
まとめ
霜降り明星の漫才は、「小悪魔系女子とのデート」である。おそらく行動はすべて計算されている。彼氏(観客)はデート中、主導権を握ったかのような感覚に陥る。否、彼女(霜降り明星)が主導権をわざと握らさせている、言い換えると、彼氏に本当の主導権を一切握らせないということだ。そして、自分は彼女の掌の上で踊らされることに気づくのだが、それをも受け入れてしまうぐらい、彼女に魅力を見出してしまうのである。
①流行りのCMのセリフを言う
「いきなりですが」
→「楽天カードマンの言い方」
=クイックでボケとツッコミを入れるが、CMが大衆に浸透しており、客をじわじわ漫才の世界に引き込んでいく。
②物真似+α
赤ちゃんの泣き真似→そのままの調子で子守唄を歌う→寝る
→「セルフ」
③商品名の種類を間違える
(赤ちゃんことば)「バスロマン(6回・1回)」
→(6回言った後に)「バブやろ」
バスロマンと4回言ったときに違和感を初めて感じ、その後ストレートにツッこむ
=粗品を含む客全員は「バスロマン、入浴剤、、、だっけ」と考えさせる、客と同じ視点に立っているため粗品は違和感に気づいてから「バスロマン」をせいやに2回言わせ、「バブやろ」とツッこみ、「入浴剤で間違えているやろ」と言い、「そういうことか!自分でも思い付いたかもしれない!」と客に思わせ客を漫才に参加させる。そして「バブ」(具体)→「入浴剤」(抽象)とツッコミに段階をつけることで、「バブ」で意味がわからなかった客を救済し、そして客は考えながら漫才を見ることになる。
④誰でも体験があるもの
=上記によって参加できる漫才を展開しているため、ここでは「小学校」を採用している。「4時間目が終わって給食に入る」ということで懐かしさに現実感を持たせ、さらに客を漫才に引き込む。
④-1国語の授業
段落に丸をつける「はい1、はい2、おわり」
→「ポエム」
=「段落」と言われると普通は「小説」や「評論文」など長文のものを想像するが、2行で終わってしまう。これを「ポエム」ということで、今までになかった選択肢を客から呼び起こし、魅了する。
④-2給食前の手を洗うシーン
入念に手を洗う
→「お前、人殺したんか」
=給食という「日常」の中で、人殺しという「非日常」がある可能性を示し、客に行動の理由を納得させる
④-3手を乾燥させる
ハンドドライヤーに手を入れる
→「私立」
=冒頭の①以外、ここまでボケ(フリ)が長かったが、ここでは一瞬でツッコミを入れる。ここからボケとツッコミがほぼ同時に繰り出される場面が増える。
④-4食時前に手を合わせる
両隣の人と手を合わせる
→「1人で」
=誰でもツッこめる内容だからこそ、誰にもツッこめない速度でツッコミを入れる。手洗いのシーンまでは、客はツッコミの粗品と同位置にいたと錯覚させられるが、ハンドドライヤー(乾燥機)と「1人で」のツッコミにより一気に客を引き離し、客を「客」たらしめる。
④-5食パンを食べるシーン
→「1斤」
④-6食パンを食べているシーン
→「後半トースト」
④-7先生の登場
「おいそこ、ええかげんにせえよ。学校で喋るな」
→「厳しすぎる」
=④の567は、客が「自分でも考えれそう」と思う、いわゆる「普通」のツッコミをした。これによって客はツッコミの粗品と自分を同一化し、漫才に主体的に参加させられることになる。
④-8転校生の紹介
→「いつ来とんねん」
イリュージョンを見せる
→「プリンセス転校生」
=④の567とは違い、ボケ(フリ)を長くした。漫才に主体的に参加させられている客はツッコミのことばを自分で考え始める。その後、粗品は「プリンセス転校生」という他のどんな客をも上回るワードセンスで再び客を突き放す。
④-9-1プールの時間
第1コース:クロール
第2コース:独特な泳ぎ方
→「クリオネの泳ぎ方」
=誰しもどこかで目にしたことのある「クリオネ」を人体で再現し、ツッコミの言葉で脳内にある「クリオネ」の像と一致させる。
第3コース:目が泳いでいる
→「目泳いどる」
=ハイテンポなやりとりで「目が泳いでいる」演技を見たあと、客に考える隙を与えず、目が「泳いでいる」との同一性をツッこむことで客に提示し、客に先手を取る。
第4コース:横から波がきて泳ぎにくそう
第5コース:おばちゃんたちのエアロビクス
→おばちゃんたちがエアロビクスしている
=例えば100人にエアロビクスを体で表現しろと言っても、それが一致する確率はかなり低いだろう。つまり、なんとなくは知っている「エアロビクス」を体現することで客の頭に「?」を浮かべさせ、具体(わかりにくいもの)を抽象(わかりやすいもの)に変換してくれるツッコミ(粗品)に注目を集める。
第6コース
①:溺れている→シンクロ
→「シンクロ経験者」
=同時のやりとり、さらに具体を抽象に変えたという信頼を客の頭に残し、霜降り明星の漫才という「ステージ」を楽しむこととなる。
②シンクロの演技
→「そして0点の演技」
=「なるほど、そうツッこむのか!」と言わせんばかりのフレーズ。もう自分ではツッコミのフレーズは考えられないと客に思わせる。
③シンクロ選手の退場の仕方
→「負けてもプロ」
=②の機能を繰り返すことで、「霜降り明星」に頭の先まで浸かることになる。
④-9-2溺れている人の走馬灯
「豆でか〜」
「関節ならへんな〜」
「この道に出てくんねんな〜」
→「しょうもない人生」
=初めて多種のボケ(フリ)を使用した。霜降り明星の世界に入っている客は、今までとは違い、ボケが長くても自分でツッコミの言葉を用意することなく、粗品に全てを委ねている。そのため今まで以上の期待を粗品にかける。そして「具体」が3つもあり、客の頭の中には混沌として存在するその3つのフリを、一瞬にして「しょうもない人生」という一つの道を作った。
④-10先生の登場
「ピー(笛の音)、そこ、濡れるな」
→「厳しすぎる」
=走馬灯の流れが④のクライマックスであった。そこで④の7で使用したボケとツッコミを利用することで、時間の経過を客に感じさせる。そしてこのときに「霜降り明星に頭まで浸かっている自分」に気づく。
④-11-1校長室の銅像
ご飯を食べているところ
→「あんま飯時描写せんやろ」
④-11-2歴代の校長の写真
1〜6代目まで普通
7代目:歌舞伎者
→「7代目ひょうきんもの」「そいつの時代に学びたかった」
11〜14代目:寒そうにしている
→「11、12、13、14冷房強すぎる」
=最後は歴代の校長の写真という題でテンポ良く漫才を終わらせている。
終始漫才の中の物語に粗品が登場することはなかった。いや、せいやが演技中に粗品に話しかけることがなかったのだ。粗品はあくまでも客と同じ視点に立ち、一緒にせいやの「演技」を見たという、客との心の近さで客を魅了していった。