漫才の教科書をつくりたい

メインは、若手芸人が、その4分間に人生をかける、年に一度の祭典『M-1』に見出せる「おもろい」を分析していきます。

『M-1 2018』「ミキ」敗者復活戦の考察

まとめ

兄弟漫才の利点「家庭感」を存分に利用した、見る人を一切不快にさせない、まるで「かわいい子猫の動画」を見ている気持ちにさせられる漫才。明確な「ボケ」がない分「ツッコミ」の爆発力に期待できないが、漫才中に「大喜利」を行うことで段階的な爆発を発生させた。

 

 

①兄:「兄弟仲良ぉやっていかなあかんね」

 

②悩んでいる内容

弟:悩んでる

→兄:悩んでる

弟:「最近勝たへん」

→兄:「勝たれへん」

→→弟:「勝たれへんねん」

→兄:「パチンコ?」

→→弟:「ちがうちがう」

→兄:「競馬?」

→→弟:「いや、違うよ」

→兄:「なに?」

弟:「馬鹿なこと言ってんじゃないよって言われるかもしれんねんけど」

→兄:「あんまり言わへんけどな、それ俺」

弟:「サザエさんのじゃんけん」

→兄:「馬鹿なこと言ってんじゃないよ」

 

③じゃんけんの練習

a

兄:じゃんけんを始めようとする

弟:「言ってよ」

→兄:「言って?」

弟:「サザエでございますって」

ー少し間ー

→兄:「なんで?なんで?」

弟:「サザエさんになりきってもらわな練習ならへんから」

→兄:「サザエでございます」

兄:じゃんけんを始めようとする

→→弟:「ちがうちがう」

→兄:「恥ずかし恥ずかし」

→→弟:「全然違うよ、『サザエでございます』や、これで言って」(言い方の違いはあまりわからない)

→兄:「サザエでございます」

→→弟:「ちがう、『サザエでございます』」

(これを2回繰り返した後)

兄:サザエでございます、と言おうとする

→弟:(兄の言い始めと同時に)「ちがう、『サザエでございます』」

兄:サザエでございます、と言おうとする

→弟:(兄の言い始めと同時に)「ちがう」

→→兄:「なにがちゃうねん、なにがちゃうねん」

b.発声練習

→弟:「全然ちゃう、一回この声出して、(低い声で)『おー』」

→→兄:「(真似をして)おー」

→弟:「もっと低い、『おー』」

→→兄:「(弟の「おー」と同時に)『おー』何の意味があんのこれ」

→弟:「発生練習な、『おー』」

→→兄:「(弟の「おー」と同時に)『おー』」

→弟:「(右腕を高く上げながら)サザエでございます」

→→兄:「(左腕を高く上げながら)サザエでございます」

→弟:「(低い声で、腕も低くして)おー」

→→兄:「(弟に被せて)おー」

〜「サザエ」「おー」を腕の上げ下げと共に数回行う〜

→兄:「本番で『おー』出さへんねんけど」

兄:「『サザエでございます』やろ、(低い声で)『サザエでございます』(低い声で)『本番で出さへん声出してます』」

 

兄:「サザエでございます」

→弟:「ちがう、(左腕を兄の胸元の高さにして)『サザエでございます』」

→→兄:「サザエでございます」

→弟:「ちがうちがう、一回これ(左腕)見て」

→→兄:「これ見てどうなんねん、これを見てどうなんねん」

→弟:「一回見て見て見て」

→→兄:「サザエでございます」

〜兄・弟が「サザエ」を数回言いあう〜

→兄:「サザエじゃございません」

ー少し間ー

→兄:「昴生(こうせい)でございます」

弟:「サザエさんです」

→兄:「昴生さんです」

 

c

弟:「じゃああれも言ってください、『さーて来週のサザエさんは』」

→兄:「何でそんなん言わなあかんねん」

弟:「(兄の右腕を叩いて)なりたいんやろ、サザエさんに」

→兄:「なりたいなんて一言も言ってない」

弟:「早く言って」

→兄:「(首を上下に振りながら)さーて来週のサザエ・・・」

弟:急に笑い出す

→兄:「なにがおもろいねん」

弟:「そんな首振るか、こうやって(兄の首振りを誇張して真似をする)、首振んのか?」

→兄:「じゃあどうしたらいいねん」

弟:「首は固定や」

→兄:「じゃあ言うとけや最初から」

弟:「早よ言って」

→兄:「さーて来週のサザエさんは」

ー少し長い間ー

弟:「(兄の腕を叩きながら)ちょ、続き」

→兄:「あ、そうかすんません、(弟の腕を叩きながら)すんませんってなんやねん」

弟:「続きあるやろ」

→兄:「さーて来週のサザエさんは、(無言で弟と正面を交互に見た後)『カツオです、姉さん』」

→→弟:「なにしてんねん」

→兄:「変わるやん」

→→弟:「勝手なことすんな」

→兄:「変わるやん」

→→弟:「サザエさんやろ」

→兄:「昴生さんです」

弟:「サザエさんのまま」

(会場内で謎の音(ネタとは全く関係のない音)が鳴り響く)

(2人とも音のなるほうを見ながら)

兄:「すごい音鳴ってる」

弟:「すごい音」

 

ー少し長い間ー

弟:「予告、サザエさんの予告あるやろ、3本言う」

→兄:「来週は、(無茶振りされた人の表情で)『ワカメ、襟足を、伸ばす』」

弟:「え?!(少し間)ワカメが?思春期?二つ目二つ目」

→兄:「(無茶振りの表情)えー、『伊佐坂先生の、自宅に、、(兄が笑顔になりながら)家宅捜索のメスが』」

弟:「え?!(少し間)なんか・・・」

→兄:「いろいろありまして」

弟:「色々あった、、、三つ目」

→兄:「えー、『三河屋さん、、、正面玄関から入ってくる』」

 

弟:「あれ裏口からしか入ってきはらへんねん、三河屋さん裏口って決まってんねん」

 

d→兄:「の3本です、来週も見てくださいね、じゃんけんほい」

(弟が負ける)

弟:「くそっ」

→兄:「なにしてんねんこれ」

 

この漫才を分解してみる

1、兄弟であることの告白

2、サザエさんジャンケンに勝てない悩み

3、サザエさんじゃんけんの練習

 a、サザエさんになりきる

  い、「サザエでございます」

 b、発声練習

  い、「サザエでございます」

 c、来週の予告 

  い、「さーて、来週のサザエさんは」

   1、ワカメの襟足

   2、伊佐坂先生への家宅捜索

   3、正面から入る三河屋さん

 d、じゃんけんをする

 

そして感情で分類すると、3のcだけが「楽」で、それ以外は「怒」である。

 

解説をすると、最初に兄弟であることの告白をしており、弟が「サザエさんじゃんけんの練習をしたい」というわがままに兄が付き合わされている、という構図になっており、兄も渋々付き合っているため、感情の「怒」を観客に見せた場合でも、怖いという印象を与えず、「兄弟喧嘩」と括れるような、やりとりに「家庭感」を見出すことができる。さらに会話の始まりが「弟」の場合が多く、暗黙のうちに「兄の優しさ、弟のわがままさ」を表現している。これによって漫才に親近感をもたせることができる。この漫才には強い「ボケ」がなく、ツッコミ(兄)が弟の要求に応えるうちに「ツッコミの種」を撒いているのである。そのため、これは「ボケ」と「ツッコミ」の漫才ではない。

『M-1 2018』「霜降り明星」決勝(2回目)の考察

まとめ

霜降り明星の漫才は、「小悪魔系女子とのデート」である。おそらく行動はすべて計算されている。彼氏(観客)はデート中、主導権を握ったかのような感覚に陥る。否、彼女(霜降り明星)が主導権をわざと握らさせている、言い換えると、彼氏に本当の主導権を一切握らせないということだ。そして、自分は彼女の掌の上で踊らされることに気づくのだが、それをも受け入れてしまうぐらい、彼女に魅力を見出してしまうのである。

 

①流行りのCMのセリフを言う

「いきなりですが」

→「楽天カードマンの言い方」

=クイックでボケとツッコミを入れるが、CMが大衆に浸透しており、客をじわじわ漫才の世界に引き込んでいく。

 

②物真似+α

赤ちゃんの泣き真似→そのままの調子で子守唄を歌う→寝る

→「セルフ」

 

③商品名の種類を間違える

(赤ちゃんことば)「バスロマン(6回・1回)」

→(6回言った後に)「バブやろ」

バスロマンと4回言ったときに違和感を初めて感じ、その後ストレートにツッこむ

粗品を含む客全員は「バスロマン、入浴剤、、、だっけ」と考えさせる、客と同じ視点に立っているため粗品は違和感に気づいてから「バスロマン」をせいやに2回言わせ、「バブやろ」とツッこみ、「入浴剤で間違えているやろ」と言い、「そういうことか!自分でも思い付いたかもしれない!」と客に思わせ客を漫才に参加させる。そして「バブ」(具体)→「入浴剤」(抽象)とツッコミに段階をつけることで、「バブ」で意味がわからなかった客を救済し、そして客は考えながら漫才を見ることになる。

 

④誰でも体験があるもの

=上記によって参加できる漫才を展開しているため、ここでは「小学校」を採用している。「4時間目が終わって給食に入る」ということで懐かしさに現実感を持たせ、さらに客を漫才に引き込む。

④-1国語の授業

段落に丸をつける「はい1、はい2、おわり」

→「ポエム」

=「段落」と言われると普通は「小説」や「評論文」など長文のものを想像するが、2行で終わってしまう。これを「ポエム」ということで、今までになかった選択肢を客から呼び起こし、魅了する。

 

④-2給食前の手を洗うシーン

入念に手を洗う

→「お前、人殺したんか」

=給食という「日常」の中で、人殺しという「非日常」がある可能性を示し、客に行動の理由を納得させる

 

④-3手を乾燥させる

ハンドドライヤーに手を入れる

→「私立」

=冒頭の①以外、ここまでボケ(フリ)が長かったが、ここでは一瞬でツッコミを入れる。ここからボケとツッコミがほぼ同時に繰り出される場面が増える。

 

④-4食時前に手を合わせる

両隣の人と手を合わせる

→「1人で」

=誰でもツッこめる内容だからこそ、誰にもツッこめない速度でツッコミを入れる。手洗いのシーンまでは、客はツッコミの粗品と同位置にいたと錯覚させられるが、ハンドドライヤー(乾燥機)と「1人で」のツッコミにより一気に客を引き離し、客を「客」たらしめる。

 

④-5食パンを食べるシーン

→「1斤」

④-6食パンを食べているシーン

ガリガリガリ

→「後半トースト」

④-7先生の登場

「おいそこ、ええかげんにせえよ。学校で喋るな」

→「厳しすぎる」

=④の567は、客が「自分でも考えれそう」と思う、いわゆる「普通」のツッコミをした。これによって客はツッコミの粗品と自分を同一化し、漫才に主体的に参加させられることになる。

 

④-8転校生の紹介

→「いつ来とんねん」

イリュージョンを見せる

→「プリンセス転校生」

=④の567とは違い、ボケ(フリ)を長くした。漫才に主体的に参加させられている客はツッコミのことばを自分で考え始める。その後、粗品は「プリンセス転校生」という他のどんな客をも上回るワードセンスで再び客を突き放す。

 

④-9-1プールの時間

第1コース:クロール

第2コース:独特な泳ぎ方

→「クリオネの泳ぎ方」

=誰しもどこかで目にしたことのある「クリオネ」を人体で再現し、ツッコミの言葉で脳内にある「クリオネ」の像と一致させる。

第3コース:目が泳いでいる

→「目泳いどる」

=ハイテンポなやりとりで「目が泳いでいる」演技を見たあと、客に考える隙を与えず、目が「泳いでいる」との同一性をツッこむことで客に提示し、客に先手を取る。

第4コース:横から波がきて泳ぎにくそう

第5コース:おばちゃんたちのエアロビクス

→おばちゃんたちがエアロビクスしている

=例えば100人にエアロビクスを体で表現しろと言っても、それが一致する確率はかなり低いだろう。つまり、なんとなくは知っている「エアロビクス」を体現することで客の頭に「?」を浮かべさせ、具体(わかりにくいもの)を抽象(わかりやすいもの)に変換してくれるツッコミ(粗品)に注目を集める。

第6コース

①:溺れている→シンクロ

→「シンクロ経験者」

=同時のやりとり、さらに具体を抽象に変えたという信頼を客の頭に残し、霜降り明星の漫才という「ステージ」を楽しむこととなる。

②シンクロの演技

→「そして0点の演技」

=「なるほど、そうツッこむのか!」と言わせんばかりのフレーズ。もう自分ではツッコミのフレーズは考えられないと客に思わせる。

③シンクロ選手の退場の仕方

→「負けてもプロ」

=②の機能を繰り返すことで、「霜降り明星」に頭の先まで浸かることになる。

 

④-9-2溺れている人の走馬灯

「豆でか〜」

「関節ならへんな〜」

「この道に出てくんねんな〜」

→「しょうもない人生」

=初めて多種のボケ(フリ)を使用した。霜降り明星の世界に入っている客は、今までとは違い、ボケが長くても自分でツッコミの言葉を用意することなく、粗品に全てを委ねている。そのため今まで以上の期待を粗品にかける。そして「具体」が3つもあり、客の頭の中には混沌として存在するその3つのフリを、一瞬にして「しょうもない人生」という一つの道を作った。

 

④-10先生の登場

「ピー(笛の音)、そこ、濡れるな」

→「厳しすぎる」

=走馬灯の流れが④のクライマックスであった。そこで④の7で使用したボケとツッコミを利用することで、時間の経過を客に感じさせる。そしてこのときに「霜降り明星に頭まで浸かっている自分」に気づく。

 

④-11-1校長室の銅像

ご飯を食べているところ

→「あんま飯時描写せんやろ」

④-11-2歴代の校長の写真

1〜6代目まで普通

7代目:歌舞伎者

→「7代目ひょうきんもの」「そいつの時代に学びたかった」

11〜14代目:寒そうにしている

→「11、12、13、14冷房強すぎる」

=最後は歴代の校長の写真という題でテンポ良く漫才を終わらせている。

 

終始漫才の中の物語に粗品が登場することはなかった。いや、せいやが演技中に粗品に話しかけることがなかったのだ。粗品はあくまでも客と同じ視点に立ち、一緒にせいやの「演技」を見たという、客との心の近さで客を魅了していった。